【日常のこと】

人に会う時間が“コスト”だとしたら

ericoach1

ライターとしてもコーチとしても、コロナ禍で少なからずオンラインの恩恵を受けました。

何しろ、自宅にいながら対話が出来る。

これは会社員の方にとっても、会社にとっても都合がいい側面が大きかったようですね。
移動にかかっていた時間や交通費を削減できたり、
オフィスに全員が固定席で出社しないので、都内の賃料の高いオフィスの面積を減らして、固定費削減させた会社も少なくなかったようです。

それがアフターコロナに移行しつつある今、「リアル」だとコストが発生する、というこれまでなかった概念が登場しました。

その結果、無意識にも「その費用対効果は見合うのか?」と考えてしまう人も多いのではないでしょうか。

それは選択肢が増えたからこその問い。

新幹線しかなかった時代には、「東京から広島まで行くのには4時間近くかかる」のが常識で、みんなが「そういうもの」だと思っていた。

でも飛行機が登場して、1時間20分で飛べるという選択肢が出てきたから、その2時間半以上の差にどんな価値を見いだすのか?と考えることになったわけです。

今後はまた新しい選択肢として「人なのかAIなのか」みたいな、新しいコスト感覚にもぶつかっていくのでしょうね。。

こういう新しい選択肢が登場したことで芽生えた「コスト」感覚をどう扱うかですが、

私は一人でする行動なら「効率」で考えてもいいんじゃないかと思うんです。

速さを優先するのか、快適さを重視するのか、とか。

対面での打ち合わせだと半日つぶれていたけれど、オンラインなら午前中にもう1件入れられてチャンスが広がる、とか。

でも、人と“会う”ことの価値には、費用対効果なんかじゃ測れないものがある。


前置きがだいぶ長くなりましたが、今日は友人が長野から横浜に仕事で来ていると連絡をもらったので、帰り道に高速道路を途中下車してもらって、高尾山でランチをしてきました。

(彼女の帰るルートと私の住むエリアで一番近くで交わるのが高尾山インターチェンジだったので)

お気に入りのおそば屋さんに案内して一緒にとろろそばを食べて、
せっかく高尾山の足元まで来たから、とケーブルカーで上がって、天狗焼きをお土産に買って、リフトで降りてきました(笑)

たった2時間弱だったけれど、共有できた情報量がまるで違う。
(全然詳しくないけど)たぶん何億ビットとかのレベルで違うはず。

例えば、駅前で待ち合わせして顔を見た時に、彼女がどんな風にぱあっと明るく笑ったか、
その時に周りの空気がどんな風に揺れたか。

おそばをズルズルとすするタイミングと、話したいタイミングが合わなくて、まごまごしていた感じとか。

そば湯を飲みながら、どんな風に目を細めたか。

展望台で、また性懲りもなく「縄文土器になぜこんなに心惹かれるか」を熱弁する私の話を聞いて、彼女のカメラを持つ手がどんな風に動いたか。

リフトに並んで乗って、一緒に風を浴び、
ヤマボウシの花が天の川のように足元に咲き流れているのを見ながら「3周くらい乗りたいね」と笑い合い、

最近どう?元気にしてる?と聞いた時に、どんな温度で返事をしたか。


もし、人に会うことが“コスト”だとしたら、
それによって得られる“対価”はこういうことぜんぶ、だと思う。

人と人との間にしか生まれないものって、絶対ある。
人と関わって、人と直接触れ合うから気づける自分も、絶対ある。


そんなら、全然払います。そのコスト。



つまりなにが言いたいかというと、
友遠方より来たる。めっちゃ楽しかった、ということです。

「会いたい」って言葉は、大きな承認。
相手もそのコストをかけて、こういう対価を得たいと思ってくれているということだから。

だいたいにおいて、「めんどくさい」に打ち勝つのって結構なエネルギーが必要

時間を意識しながら間に合うように車を走らせて、高速道路を降りなきゃいけない。
相手も、「めんどくさい」を乗り越えてここに来てくれた。
そのことに、感謝とリスペクトがないといけないな、と思います。

「会いたい」と思ってもらえる自分でいたいし、そういう関係性を大切にしていきたいなと改めて思った幸せな2時間でした。

ABOUT ME
中原絵里子
中原絵里子
編集・ライター・キャリアコーチ
大手教育出版社に20年勤務後、独立。上阪徹ブックライティング塾9期生、トラストコーチングスクール認定コーチ。
東京在住、3児の母。 コーチングでは、主に働く女性のこれからの働き方を決めるサポートや、ライティングのサポート、挑戦したいことに向けた伴走を行っています。
ライティングでは、教育、勉強法、進路、働き方、コミュニケーションなどをテーマにインタビューや記事作成、ブックライティングを行っています。
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