「銀河鉄道の父」に観る、子どもを褒める難しさ
週末、夫を誘って「銀河鉄道の父」を観てきました。
日本文学科出身ながら、実はあんまり宮沢賢治を深読みはしていなくて。
ゼミで誰かが『銀河鉄道の夜』を取り上げていたのをぼんやりと聞きながら、
言葉遣いが独特で世界観がある作家だなあ、程度にしか受け止められていませんでした。
今回この映画を観ることにしたのも、「役所広司が好きだから」「親子ドラマだから安心して観られそう」程度の理由だったのですが、
結論からいうと5回は泣きました。
子どもを褒めるのってすごく難しい。
これは私がとりわけ娘に対して常々感じていることだったので、
「父」の号泣に、親としての自分を責められているようで、苦しくなりました。
褒めているつもり、認めているつもりだけれど、
なぜこんなに、素直に言葉にするのが難しくなっていくんだろう。
褒める言葉よりも先に、心配の言葉が口をついてしまう。
そしてそれは、だいたい「小言」の顔をしている。
「ご飯は食べたの?」
「随分帰りが遅かったじゃない」
「早く寝なさいよ」
こんなの、言われた方だっていやなもの。
だけど率直に、
「ダイエットなんてしなくても、むかつくくらいかわいいわよ」
「あなたの帰りが遅いと何かあったのかもしれないって嫌な想像ばっかりしてしまうの」
「睡眠不足は万病のもと、体調には気をつけてね」
なんて言われたって、面はゆい。
(言ってる自分もなんだか気持ち悪い)
ああ、言葉を選ぶのは専門のはずなのに、
コミュニケーションを生業としているはずなのに、
どうして娘との会話はなかなかうまくできないんだろう。
どうすれば少しでも伝わるんだろう。
そんなことを考えながら、親の在り方をひとつでも参考にしようとしっかり感情移入して観ていたら、そりゃあ泣きますよね。
結果も知っているわけだし。
子どもは親に褒められたい。
でもなんでもいいわけじゃなくて、褒められたいところとそうじゃないところがある。
それをちゃんと汲み取って、伝える努力をすること。
それは親がやるべき大事な役割なのだと思います。
試行錯誤しながら、失敗しながら、取り組んでいかないと。
そしてもう一つ、全然別の観点ですが、
宮沢賢治は生前から評価されたわけではなく、亡くなってから知られた作家です。
生きている間に受け取った原稿料は一作、5円だけ。
自費出版で「春と修羅」、友人の尽力で「注文の多い料理店」を出すものの、
全く売れずに父親に頼んで買い取ってもらいます。
生前に出版した本はその2冊だけでした。
いい作品だからといって自然と売れるとは限らない。
むしろそんなことは稀で、自分から売り込んで認知してもらわないと、伝わらない。
宮沢賢治の作品は彼の死後、草野心平らの尽力によって世に送り出され、無名の作家だった宮沢賢治の名前と作品が普及していきました。
知ってもらうこと、伝わるようにあらゆる手段を使って、何度も何度も訴えかけていくこと。
そしてそんな自分を心から応援して、動いてくれる人がいること。
それがないと、実るものも実らないんだよね、何事も。
そんな当たり前のことに気づかせてもらう機会にもなりました。
ちなみにいっしょに観た夫が漏らした感想は「やっぱり寒い地域の人は忍耐力がすごいよね」でした。。
花巻が生んだ偉人は、大谷翔平や菊池雄星だけではない。
たしかにそうだけど・・・
人によって受け取り方はさまざま。正解はない。
違いを知ることがコミュニケーション。
そう気づかせてくれる、夫の一言でした~。
作品の詳細はこちらから。