青森縄文遺跡旅行 ~何をするかより、誰と過ごすか~
コロナで何度も延期した、母との青森縄文旅行にやっと行くことができました。
母との共通の趣味が、「縄文」。
あの土器は見てみたいよね、あの土偶を見にあそこに行きたいよね、という話題で唯一いっしょに盛り上がることができる貴重な相手である母を、今回青森旅行に誘ったのにはもう一つ理由があって。
それは、謝りたかったから。
気分にムラのある長女からの強い当たりに傷ついたり、どう接したらいいのかと思い悩んだりするなかで、自分も同じ思いを母にさせてきたのだ、という心当たりがありすぎる。
高校生の頃の自分はどうだった?どんな風に母に接していた?
自分が娘に願うようなふるまいをしていた?
NOです。
むしろもっとツンケンしていたかもしれない。
今考えれば、私が「もし娘がこんなことになったら」と妄想して勝手に心配していること以上に、危なっかしいことに首を突っ込んだこともあった。
今娘に話してほしいと思っていることを、私は母に話していなかった。
ああ、あの頃のお母さんはこんなに切ない思いをしていたんだな、私のせいで。
そう思ったら、言葉にするのは面はゆいけれど、何か行動しておきたい。
それで、旅行に誘いました。
今回の旅行のテーマは「青森で縄文の遺跡を巡る」なので、行きたい遺跡や見たいものをピックアップして、断腸の思いで3つに厳選。
なにせ北海道・北東北の縄文遺跡群は令和3年に世界遺産に登録された価値あるものばかりですから、なかなか絞り込めません。ぐぬぬ、こっちも見たいしここも行きたい・・・。
いろいろ諦めたり調整したりした結果、私が最終的に選んだプランがこれ↓
・是川縄文館で「合掌土偶」
・小牧野遺跡で「環状列石(ストーンヘンジ)」
・三内丸山遺跡で最大級の大型竪穴建物・大型堀立柱建物
一泊二日の弾丸旅行、青森空港を出発して最初の目的値まで105キロ。
体力の落ちてきている母は、ドライブメインの旅行の方がむしろ助かるとのことなので、奥入瀬渓流などはドライブしながら通り過ぎるくらいでOK、とのこと。
この3つの遺跡を巡りながら、温泉に泊まって美味しいものを食べよう!というコンセプトに決まりました。
最初の目的地の是川縄文館に、国宝の土偶「合掌土偶」がおわしました。
発見されたのは1989年と、つい最近。
土の中で体育座りされていた土偶を掘り出した人の気持ちはいかばかりだったか、想像するとそれだけで胸がいっぱいです。
この状態のまま3600年以上も土の中で保存されていたなんて、奇跡としかいいようがない。
是川遺跡の特徴は、漆製品がたくさん出土しているという点。
すでに縄文時代から美しい漆細工を扱う技術があったんですね。
想像するよりはるかに高い技術と文化を持っていたんだと思います。縄文なめたらアカン。
その後は新緑の奥入瀬渓流と十和田湖をドライブしながら、日景温泉へ。
ギリギリ秋田県という県境にある一軒宿で、車から降りた途端に立ちこめる硫黄の香り。
早速無料の貸切露天風呂に入ってみると、白濁したお湯は温度もちょうどよく、真横の茂みでウグイスが「ホーホケキョ」と歓迎してくれていました。
ラドンが含まれているおかげでとりわけ皮膚に効能があるらしく、アトピーが良くなりましたといった声もよく聞かれるのだそう。
山奥の旅館とは思えない(失礼)、驚くほど美味しい食事と温泉と感じのいい接客で幸せな気持ちになり、母とたくさん話をしながらその日は早めに休みました。
次の日はまず小牧野環状列石へ。ここは直径55メートルと国内最大の環状列石。
なんでも地元の高校生が、山の中にこれだけ大きな石がゴロゴロしていることに疑問を抱き、「昔の人が運んできたに違いない」と仮説を立ててボーリングを依頼した結果発見されたのだそう。
きっと冬至やら夏至やらいろんな自然現象を考慮して位置や方向を決めたのだろうと想像すると、意味を考察したくてたまらなくなります。
200年かけて石をせっせと運んだ、聖なる場所なんですよ。
一方で、現代の高校生と違ってそんなに古い石に意味や価値があると知らず、江戸時代には馬の放牧地として活用され、亡くなった馬を弔うために中心石の一つに文字を彫っちゃったりしていて、嘉永7年の人のバカバカバカ!と思ったり(笑)
一通り環状列石を堪能したら、いよいよこの旅のハイライト、三内丸山遺跡へ。
何が凄いって、5900年ほど前に人が住み始めてから約1700年もの間、その集落が存続し続けたということ。
まだ稲作などが始まっていない時期なので、住み心地が悪ければ移住するはず。
よほど様々な条件がよかったのだろうなと想像します。
(なぜそれだけ住みやすい場所を手放してその地から離れたのかはまだわかっていません。噴火とか?)
約300人収容できる巨大な建物があったとか、
直径1メートルのクリの木を使った15メートルという巨大な高床の建物があった(なんと、柱の根元の部分が腐らずに当時のまま残っていました!ミラクル!!)とか、
とにかくスケールが大きいのが三内丸山遺跡の最大の特徴。
なにせ集落全体の広さが東京ドーム7個分といいますから。
それだけ広い場所に長い年月人が住んでいたので、土器などの出土品もハンパない量ですが、とりわけ見どころなのが通称「縄文のポシェット」と「縄文のパンツ」。
ポシェット、見てくださいよ。縄文時代前期、約5500年前にこんなオシャレなポシェットがもう作られていたんですよ、しかも発見された時に中に入っていたのがくるみの殻が一つ。持ち主は、絶対女子!!!
こういうデザインの財布、平成でも流行ってましたよね。。
そしてこちらが通称「縄文のパンツ」。パンツはいているようにしか見えないですよね。このエリアの土偶は板状土偶といって、平べったいのが特徴なのだそう。
こんな調子で「これ、すごい!」「カッコいい~」「オシャレ~」「パンツ~」などとキャッキャ盛り上がっていたらあっという間に時間は過ぎ、予定していたお隣にある青森県立美術館には行けず。
急いで青森空港に戻ってチェックインしていたら、なんとコーチ仲間の木村京子さんがお見送りに来てくれました!
欲張りで優柔不断なせいで詰め込みがちな私のプランニング。
今回もかなり慌ただしい旅行でしたが、車での移動も結構あったおかげで、
もう一つの目的である「母にありがとうとごめんなさいを伝える」は、8割くらいは達成できたような気がします。
旅行が決まってから母は周りの友達に「娘とふたりで旅行に行く」と自慢しては羨ましがられたと得意げに話していたそう。
留守番の父も「数日前から心は飛行機のうえだったよ」と笑っていました。
青森の二日間は、すごいね、美味しいね、楽しいね、また行ってみたいねと興奮を共にできた、かけがえのない時間になりました。
あるビジネス書に、タイムマネジメントは効率を求めることではない。
時間の価値は「誰と過ごすか」が決める、という趣旨のことが書かれていました。
何をするか、どんな風にするかは、あまり重要ではない。
だれとその時間を共にしたいか。それが一番大切なのだと。
私はこの旅で、母と同じものを見ながら一緒に感動し、
同時にこれまでの自分のことを今どう感じているのかを伝えたい、
そのためにこの2日間という時間を使いたいと考えて、旅行を計画しました。
きっと、「ごめんなさい」と「ありがとう」を伝えるのに一番適していた舞台が、青森だったんだろうと思う。
そんな時間の締めくくりには、自分のためにわざわざ時間を使って会いに来てくれる仲間とハグできて。
このうえない、価値ある時間の使い方になりました。
もし、「これをやらなかったらきっと後悔する、と思うことを今すぐ実行しろ」と言われたら、あなたは誰と何をしますか?
思い立ったら意外となんとかなるもんです。
ぜひ実行してみてくださいね。