毎日の習慣は、きっと遠くまで連れて行ってくれる
ロンドンに来てから、なんとなくまだ生活に緊張感があるのか、
日本にいる時にはしていなかった“意識高い”行動がゆるゆる続いています。
その一つが、寝る前の読書。
課題図書を決めて、1日2,3章ずつ読み進めることにしています。
先日まで「名文を読み返す」著:馬場啓一(いそっぷ社)を読んでいたのですが、
ちびちび味わっていたのに最後まで到達してしまった(名文だらけでした!)ので、
今はよなよな「ていねいな文章大全」著:石黒圭(ダイヤモンド社)を読んでいます。
文章が伝わらないのは、雑だから。
誤解されずに伝わる文章を書くためにおさえるべきポイントを108、
煩悩の数だけ教えてくれる本です。
これがまた、国立国語研究所の教授が書かれた本だけに、
微に入り細に入り、懇切丁寧に解説されています。
私、前職で編集の仕事をしていた時に何度か「校正マニュアル」や「表記ルール」をつくる業務に携わったことがあります。
同じ冊子の中で、表記がバラバラだと信憑性にかけるので
トジるのかヒラクのか、どんな表現に統一するのかなど、
文字通り表記のルールを決めて、それに従って校正者さんや吟味者さんに校正してもらうための冊子なのですが、
「常用外漢字は原則としてヒラク」「ただしこれは常用外だけれど一般的に定着しているのでトジル」「これはルビ対応」など、よく使う言葉を一つひとつ見ながら決めていく作業をしている際、
「これはトジていると気持ち悪い」とか「なんとなくだけど、これはカタカナじゃない?」など、感覚で決めることが非常に多かったことを覚えています。
実際、そのルール通りに表記するとおさまりがいいのですが、
なぜそうなのか、いまひとつ理解しきれていませんでした。
それがこの「ていねいな文章大全」を読んでいると「そうだったのか」と腑に落ちることばかり。
本当にごくごく一例ですが、
記号の使い方や「問題」の類語と使い分け、「給付」と「還付」や「価格」と「値段」の違い、「たら」「ば」「と」の与える印象の違い。
実質性に乏しい動詞や形式名詞、補助動詞などはヒラクのかどうか。
句点「。」の入れ方が国語の教科書と一般の新聞・雑誌の慣習とどう違うのか(これ、初めて知りました!)。
なんとなくこっちのほうがしっくりくるよね、普通こうだよね、というあいまいな使い方をしていたものに「(原則)こうした方がいい」と方針を示してもらえることの、なんと気持ちいいことか。
早く読み終わってしまうのがもったいなくて、毎晩最大3つまでと決めて舌で転がすようにちびりちびりと進めています。今でだいたい半分くらい。
自己満足でしかないけれど、自信は自分がやると決めた行動の結果でしか得られないもの。
毎日2,3章分ずつ、書く文章がていねいになっていっているはずだと思いながら読書を継続することで、毎日少しずつ強くなれているような気がしています。
読み終わった後、私の原稿は、ブログは、日記はどう変わっていくんだろう。
本当にささやかな変化かもしれませんが、きっとこういうささやかな習慣が、
いつのまにか自分を遠くまで運んでくれるはず。
本を読むという行動なんて、投資額も小さいし負荷は少ないし何より楽しいし、
それなのに時に驚くほど大きな影響を与えてくれることがある。
それをきっかけに外国に飛び出すことにしたり、死にたかったのをやめたり、好きな人をきっぱりあきらめることにしたり、家族に電話したり、何かの講座に申し込んだり。
炭火のようにじわじわと、時間をかけてものすごい高温まで燃え続ける本もあれば、
バンバンバン!と背中を押して、急激に新しい世界を見せてくれる本もある。
ちょっとずつ知識と力を授けてくれる、優しい妖精のような本もある。
毎晩15分を、2年間。
この習慣は、私をどこまで運んでくれるんだろう。
この習慣のおかげで、どんな本に出会えるだろう。
楽しみでなりません。