『ママはキミと一緒にオトナになる』が気づかせるものと、感じさせないもの
昨日、青山ブックセンターで開催されたトークセッションに参加してきました。
著者のさとゆみさんは同い年、お子さんは次男と同じ年(小6)ということもあって、
『kufura』で連載されていた時から見つけると読んでいました。
その時から気づいていたけれど、
こうして一冊にまとまって一気に読んでしまったら、もう逃げられない。
ああ、私はたくさんの「発見」を取りこぼしてきてしまったんだな。
・・・という残念な事実を、直視せざるを得ない。
この本は、著者のお子さんが小学3年生から5年生までの2年間の、親子の対話を綴ったエッセイです。
シングルマザーとして仕事と子育てを両立させながら、
髪振り乱して必死で…という風でもなく、
差し出される周りからの手も上手く受け取りながら、
肩の力を抜いて軽やかに息子氏との日常を楽しんでる(ように見える)。
昨日のトークセッションでも語られていましたが、10歳前後って本当に特別な年齢。
言葉は堪能になるし、でも感性はみずみずしくて柔らかい。
彼らの目を通すと、世の中ってこんな風に見えるんだ!
なるほど、それをそんな言葉で表現するんだ!
と、のぞき込んでみれば、ちょっと異次元な世界が広がっている。
でも、私はそれを上の二人の時は、のぞき込んでこなかった。
今はフリーランスで時間の融通がききやすいけれど、あの頃の私はフルタイムの編集者。
長男が小1になったら学童は18時までしか預かってくれないので、
17時25分のシンデレラだった。
夫は毎日ほぼ終電&帰宅後も仕事か勉強で家事どころではなく、
18時過ぎに帰宅、21時半ごろに布団に連れて行くまでの約3時間は、
夕食作り→食べさせる→食器片付け→洗濯物片付け→お風呂に入れる→(持ち帰り仕事)→布団へ
をダッシュでこなすのが精一杯。
(当時)二人の子どもの話をじっくり聞くとか、観察するなんて余裕がまっったくなかった。
生きているだけで精一杯。
病気をさせない、忘れ物をさせないので精一杯。
(今思えば、言い訳なんですけどね。聞く気があれば時間はつくれたはず)
お風呂の中や食事の途中、なんだかんだときっと長男も長女も話してくれていたのだろうけど、
私はといえばほぼ上の空で、7月号の企画どうしようとか、
明日の会議のパワポ、ここまでしか出来てないけど最低何がないとダメだっけ、とか考えていたに違いない。
なにせ、覚えていない。
だからさとゆみさんのこの「ママキミ」を読んだら絶対こんな気持ちになるだろうなと想像はしていたけれど、案の定そうだった。
ああ、残念。本当に、悔しい。
なんでもっと子どもたちの話を聞いておかなかったんだろう。
なんでもっと子どもたちとのおしゃべりや反応を楽しまなかったんだろう。
なんで日常のふとした言葉を、書いて残しておかなかったんだろう。
子育てってめまぐるしくて、すぐにステージが変わる。
そして前のステージのことはすぐ忘れるようになっていて、
子どもたちの様子も、その時自分が感じていた感情も、
すぐに上書きされてしまうのに。
・・・でも。
この「ママはキミと一緒にオトナになる」は、
しっかり自分の子どもと向き合って、対話してこなかった事実を突きつけられるようで読んでいてヒリヒリする・・・とはまったくならない本だ。
それはきっと、この本が徹底した「Iメッセージ」で語られているから。
子育てを語ると、つい主語が大きくなりがちだけれど、
さとゆみさんはとても慎重に、「これはだれが感じたものか」を明示されている。
あくまで「ママ」(さとゆみさん)と「キミ」の会話なのだ。
そしてもうひとつ読んでいて心地いいのは、
「息子氏を別の人格としてキチンと扱っていて、同一視していない」ということ。
これって、けっこう難しい。
自分のお腹から出てきた子どもだからか、なんだかんだまだどこか繋がってるんじゃないかと錯覚してしまいがちだけれど、
子どもは自分とは完全に別の、独立した存在なんだ。
ちなみに私の子どもは3人ともたぶんA型で、O型の私は何かあっても子どもから輸血してもらうことはできない。
えー、私から生まれたのに??ってめちゃくちゃ不思議だったけれど、
その事実に「私と子どもは別の個体」と自覚させられる。
この、こうに違いないという「決めつけ」がないから、ママであるさとゆみさんは息子氏に、「キミはなんでそう思ったの?」ときちんと質問する。
息子氏もまた、「僕には僕の気持ちというのがあるから、ママはそれを大切にしてほしい」と齢6歳にしてきちんと主張する。
くーっ、対等!
だから読み手である私たちも一緒に息子氏を観察して、一緒に「発見」することができるのだと思う。それがとても小気味よい。
うん、今からでも別にいいじゃん。
今日から観察して、発見すればいい。
もうすっかり大きくなった19歳と17歳の子どものことだって、
まだあどけなさがうっすら残る、もうすぐ12歳の次男と同じように、
しっかり会話を楽しめばいい。
そういえば、この前娘が兄に「好きな哲学者ってだれ?」と聞き、
「やっぱりニーチェかな」と答えたのに対して、
「私はフランクル派」
と話していました。
「フランクルって、『夜と霧』のヴィクトール・フランクル?」
とビックリして聞いたら、そうだと。
あの世界がわかるようになったんだなあという感慨と、
似ていないと思っていたけれど私の血もちゃんと混ざってるんだなという実感で、
じわじわ~っと幸せが体中に染み渡っていくのを感じました。
こういうのを、ちゃんと毎回しっかり味わって生きていこう。
とりあえず、家に帰って子どもに会いたい。
そう思えるトークセッションでした。
『ママはキミと一緒にオトナになる』佐藤友美(小学館)
オススメです。
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