「当然」を手放す

ericoach1

夫の海外赴任に帯同して、先日からロンドンに引っ越してきています。
ロンドン生活3日目、早速ちょっとした「あれ?」という小さな壁を感じることがありました。


せっかくロンドンに住むならフットボールを堪能しようと、プレミアリーグで「推し」チームを探していた次男。
住んでいる地域の近くのクラブチームを数か月追いかけていたので、すでにお気に入りの選手も何人か見つけていて、開催中のEUROでも「あのゴールキーパー、うちのチームの正選手だ!」と応援したりしています。

早速そのチームのスタジアムを見に行ってみよう!と散歩がてら向かい、ショップでユニフォームを買うことに。

推し選手の背番号や名前が入ったユニフォームがなかったので、店員さんに聞いてみたところ「どの選手のがほしいか教えてくれればここでプリントするわ」とのこと。

先に支払いをしてからね、とのことだったのでまずユニフォームを購入して、背番号と選手名を指定。
店員さんがプリント機ですぐに入れてくれました。
次男は嬉々として早速パジャマ代わりに着ています。

が。

帰宅後、レシートを見てびっくり。ユニフォーム代に加えて、加工費のようなものが15ポンド(約3000円)追加されている・・・?

(しかもショッピングバッグは持っているから不要と言ってもらわなかったのにバッグ代もちゃっかり乗せられている)

有料だなんて一言もいってなかったけど・・・???


選手名と背番号をプリントすることができるよ、という話をした時、たぶん私の中で「それは当然ユニフォーム代に含まれているはず」と思っていた。

なぜならその時加工費の話をしていなかったから。

追加料金がかかるなら、当然そのことを伝えてその料金でも買うかどうかの意思確認をするはず。
言われなかったのなら、無断で料金を加算されることなんてありえない。

そういう思い込みがあったのでしょう。。

でも今考えれば、店員にとっては「当然、付加価値をつけるなら料金はかかるもの」「値段を確認されなかったのなら、いくらでもいいからやってほしいということだろう」という思い込みがあったのかもしれない。

前提が違うから、ミスコミュニケーションが発生する。

その思い込みには、これまで過ごしてきた環境の影響を無意識にもかなり受けるものです。


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例えば私の育った家族は父親を立てる傾向が強くて、
「お父さんに聞きなさい」「お父さんなら解決してくれる」「お父さんは何でも知っている」
といった絶対的権威のようなものを母や身内から刷り込まれてきました。

そのせいで私は上司や先輩(や夫)といった、「自分より立場が上」と感じている人に依存する傾向が強いようです。

(夫の方が自分より立場が上と感じるのも、刷り込みの結果)

お伺いを立てなければ。従わなければ。相手の言われることが正しいのだからその通りにしなければ・・・と、ともすれば自分で考えることを放棄しようとしてしまう。

自分が夫といても「教えてよ」「指示してよ」「導いてよ」というスタンスを取ってしまうことがあるのはそういう刷り込みの影響。
無意識に「当然こうしてくれるもの」という前提があるからなんだな・・・ということに気づくことができたのは、コーチングを学んで前提をかたっぱしから疑ってみたからだと思います。

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今回の買い物では「日本ではこれが当たり前だから」といった思い込みがあったから、「違う!」と思ってしまったわけです。

でもそもそも日本にいると気づけないけれど、世界のスタンダードではない価値観ことっていっぱいあるはず。

日本では当たり前だけれど、そもそもそれって本当に当たり前なの?
と疑うことで再発見できることがたくさんあるはず。

日本のおもてなしも、違う国の常識から見るとオーバースペックというか、「それは別料金を求めていいサービス」というものもいっぱいありそう。


そうした「当たり前じゃないこと」を意識的に見つけたいなと思えた出来事でした。

ABOUT ME
中原絵里子
中原絵里子
編集・ライター・キャリアコーチ
大手教育出版社に20年勤務後、独立。上阪徹ブックライティング塾9期生、トラストコーチングスクール認定コーチ。
東京在住、3児の母。 コーチングでは、主に働く女性のこれからの働き方を決めるサポートや、ライティングのサポート、挑戦したいことに向けた伴走を行っています。
ライティングでは、教育、勉強法、進路、働き方、コミュニケーションなどをテーマにインタビューや記事作成、ブックライティングを行っています。
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