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迷って、不安で、わからなくて。だから答えを出す

ericoach1

上の子ども二人は、もう大学生。

大学院に行くのか資格を取るのか留学をめざすのか、みたいな進路はしっかり自分で考えて、親には報告と具体的な相談をするだけ、みたいな関わりになっています。

へえそんな風に考えているだね、いいねいいね、と話しながら、

その根っこのところにある「自分はこれが好き」「これが得意」といった自己認識に、昔自分や夫が伝えた言葉がけっこう影響しているんだなと感じます。

モノづくりや街のかたちやインフラに興味があって、都市開発を学んでいる長男。

保育園のころ、レゴやプラレールが好きで、設計図を見ながらいそいそと街や家づくりをしているのを見ながら、

「母さんこういう細かい作業、本当に苦手だからめんどくさいと思わずに楽しめるあなたを心から尊敬するわ・・・」と心底関心したことを覚えています。

だってレゴって、想像以上~~にめんどくさい。「赤で平べったいマルポチ3つのを4個」みたいなのをあの有象無象の中から探さなきゃいけないんですよ。

で、見つけたら設計図とにらめっこしながら、2Dを3Dに読み替えて、きちんと配置しないと外すのも大変。

うえ。

これを苦行と思わず、楽しめる人がいるんだなあ、と「私と子どもは別の人間」を実感したものでした。

それが、うっすら彼のアイデンティティ形成に影響していたようで、「俺は設計とかものづくりとか全体をデザインしたりすることが好きだから」と迷わず建築関連で調べて、やりたいことを見つけたようす。

構造物理学だの水理学だの、楽しいんだよねえといいながら、進みたい研究室を探している様子。

(彼はやりたいことには前のめりで興味のないことにはテコでも動かない頑固なところがあるので、自分でアンテナをピコピコさせるのが一番)

一方娘は数学が好きで、数字がきちっとびしっとしていると気持ちがいいらしい。

(これも私にはまるでわからない感覚)

中学高校と「数学が得意な文系」を自認していて、きっちり商学系に進み、会計を学んでいる。

こんなに確定申告ひとつ、毎年苦行な私のお腹からほんとに出てきたのかい・・・?

「アートよりファクトとサイエンス」と、美術館に行ってもぴんとこない様子だったのに、自然史博物館には興奮していた。

あいまいなもの、いくらでも解釈できるものより、「いったんこれ」と正解が出るものの方がすっきりするみたい。

そしてすっきりさせるためには、とことん積み上げ、突き詰められる根気とガッツがある。

こういう、「私ってこういう傾向あるな」といったアイデンティティのヒントのようなものを一緒に探して、客観的に見ながら「私から見るとあなたはこういうのが得意に見えるけど、どう?」と伝えてあげることって、親から子どもに贈れる大きなギフトなんじゃないかと思う。

大人だって、転職やら環境変化やらにいちいち自分探しをしちゃうぐらい、揺らぐから。

しっかり握っておける軸があると、激しくはぶれずにすむ。

もちろん、押し付けたり決めつけたり、選択肢を狭めるようなことにならないよう、細心の注意は必要。

でも、親に褒められたり認められたりしたことって、けっこうな影響があるんだな、って子どもを見ていて思います。

特に多少自分のことが見えるようになってくる小学校高学年から中学卒業するぐらいまでの、いわゆる思春期にそっと差し出された「あなたのこと、こう見ているよ」というポジティブなフィードバックは、なんなら進路を決めてしまうくらいの影響力がある。

だからこそ、日ごろから子どもに興味を持ってよくよく観察して、いっぱい仮説を持って「こうかな?ここかな?」と探りながら、確信を持ったらさりげなく差し出すことが大事。

迷ってもいい。道を変えてもいい。

でも、あなたの良さを見失わないで。

・・・というようなことを、昨日Facebookに投稿したのですが、
なんでこんなことを改めて書きたくなったんだろうと考えたところ、

「これでよかったんだ、と定期的にいいきかせたくなるから」
という結論に至りました。

子育てに正解はない。だから不安だし、
これでいいのか、やらなくていいのか、やっちゃいけないのか、
どこまでやるのか、どのぐらいで手を放すのか、

いつも迷っている。



顕著なのは習い事問題。

保育園の終わりごろから、我が子に何をやらせるのか、やらせなくていいのかみたいなことはずーっと迷いまくっている。

スイミング?ピアノ?そろばん?はやりのプログラミング?英語?
体操?空手?

我が子の人生戦略として考えなきゃいけないような、いやむしろやっちゃいけないような、
強制はダメだけど呼び水を撒くのは親の役目なような、

そもそも「やらせたい」っていう言葉にも違和感があるけれど、
まだ小さくて小さな小さな世界で生きている子どもが自ら「やりたい」と言い出すなんてかなり無理があるし、ただの理想にすぎないのか。

ずっとモヤモヤ、迷い迷い、手を出したり引いたり。

これが小学校に入るともっと深刻になる迷いが「中受させるか」どうか。

これはもう相当ブレる。結局私たち親自身も自分の選んだ方しか知らないし、
どっちが子どものためで、何が幸せなのかなんて全然わかんない。

中受させるのか、させないに関わらず塾に行かせるのか。
どこまで勉強で囲い込むのか、強制するか。

ずーっと建前と本音の間でウロウロして、やっぱこれでいいと仮決めして、
他のおうちの話を聞いてううんと不安になって。

そういうぐるぐるをずーっと繰り返したまま、結局大学生になった。

結局ほとんど勉強を強制したり親の意向に従わせたりすることはなく、
ほぼ子どもの意向の通りにここまできたから、
もっと負荷をかけていたら浪人なんて苦労させずにすんだのかとか、
もっと高みをめざしたかったのにその土台をつくってあげられなかったんじゃないかとか、
くよくよが残っていないわけじゃない。

でも、ほんと、今は心から「彼・彼女の人生なんだ」と思う。

偏差値至上主義の現場に長くいたから感覚がマヒしているところがあるけれど、
偏差値と成功とか幸せが相関するわけではないし、
どこでその判断をするのか(新卒で入社した会社の年収、とかではないよね)もあいまいだ。

自分たちの人生の成功やら幸せやらは、これから彼ら自身がつくっていくものだし、
自分で正解にしていってもらうしかない。

だから時々こうやって、しっかり自分の得意なことや興味のあることを握って、
やりたいことをやって、おおいにしゃべっておおいに笑って大学生をやっている子ども達を見て、

「よかったね」と実感することが、

なんだかんだとずっと迷い続けてきた過去の自分を成仏させてあげることにつながるんじゃないかと。

あなたたちの良いところは知っているよ。
あなたたちの選択を見てきたよ。
がんばりも、失敗も、強かったところも弱かったところも見てきたよ。

これでよかったね。

もうすぐ14歳になる次男を前にまたすぐ迷うかもしれないけれど、
すぐそばで話を聞いて相談に乗ってくれる頼もしいお兄ちゃんお姉ちゃんがいるから、だいじょうぶ。

どうしたらいいかなあと相談しても、
二人とも自分のこれまでを否定しないことが、ひとつの答えだ。


ABOUT ME
中原絵里子
中原絵里子
編集・ライター・キャリアコーチ
大手教育出版社に20年勤務後、独立。上阪徹ブックライティング塾9期生、トラストコーチングスクール認定コーチ。
東京在住、3児の母。 コーチングでは、主に働く女性のこれからの働き方を決めるサポートや、ライティングのサポート、挑戦したいことに向けた伴走を行っています。
ライティングでは、教育、勉強法、進路、働き方、コミュニケーションなどをテーマにインタビューや記事作成、ブックライティングを行っています。
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