「私なんか」を疑う
とてもお久しぶりの投稿になってしまいました。
思うところ、迷うところあり、
今文章を書いても、迷いが出るだけだとわかっていたので、
整理できるまで待っていたところでした。
だんだん、腹が決まってきたような気がします。
今日、1万字レポートの課題を提出しました。
現在「上阪徹のブックライティング塾」9期生として
ブックライティングを学んでいます。
ブックライターにならないとしても、
インタビューをもとに原稿を書く人にとって
非常に学びの多い講座。
志を同じくする人たちと課題の感想を伝え合い、
一流の講師からフィードバックをもらえる非常に貴重な学びの場です。
そして毎回、課題が出ます。
今回は一番ハードだという
「インタビューの文字起こしをもとに1万字で原稿を書く」
という課題でした。
この連休中、講義で学んだことを復習して実践するべく
構成を考え、要素を積み上げながら、
かつ「面白い」記事にするために
試行錯誤してきましたが、ようやくなんとか形になりました。
仕事ではなく自主的な学びの課題なので、
急な仕事の依頼などがあると、
つい「出来ない言い訳」が
浮かびそうになるのは私の悪い癖。
でも今回そんな時も、逃げ癖を振り払って
なんとか言葉を重ねて書き続けられたのは、
コーチとのセッションでもらった言葉でした。
それが、タイトルにあった、
「“私なんか”を疑ってみる」です。
頑張っても、きっと私なんかたいしたライターにはなれない。
文章力も経験も、構成力も論理性も緻密さも、
私より優れている人なんていっぱいいる。
ライティング塾にいてもライターとして仕事をしていても、
時々そんな考えが頭をもたげる時があります。
インタビューがうまい人、
話を聴きながら構成を考えられる人、
人の懐に深く入り込むのがうまい人、
とにかく頭の回転が速い人。
優秀で才能にあふれる人ばかりに見える。
これ、私の長所でもあり、短所でもあります。
人の優れたところを見つけて、
本人も自覚していない強みに気付いて
指摘することができるのは、長所。
でも、そうやって気付いた強みや美点を
自分と比べて「私なんか」と思ってしまうのは、短所。
先日セッションを受けた時、コーチは、
「その私なんか、という自己評価が
本当に適切なのか。
客観的に見て、疑ってみては?」
という言葉をかけてくれました。
その言葉に勇気を得て、かたっぱしから疑ってみたんです。
本当に、一万字で読ませる記事、私に書けない?
私よりうまいライターがたくさんいるとしても、
それって私が向いていないっていうことと本当にイコール?
自分からも信頼されないくらい、
私の意思や行動力は薄弱なの?
ちゃんとやるべきことを達成できた自分、
本当に未来にいないかな?
その疑いの言葉は、自分でかけているにも関わらず、
自分で載せていた重しをいくつもはがし取って、
軽くしてくれました。
自分を疑って、重たくするのも自分。
その自己評価を疑うことで、行動できるようになるのも自分。
そして行動でしか、自信は得られない。
まあまあハードに見えた壁も、
うん、今回もちゃんと越えられたやん。
疑ってごめんな、私。
こんな会話を何度も繰り返すうちに、少しずつ自己評価も変わってくるし、
逃げ癖も薄まっていくのかな、と思います。
ぜひ一度、疑ってみてください。
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