「言語力」を過信しない
ライターとしてお仕事をいただいている以上、
書くことはまあまあ得意だし、
それほど苦にすることなく自然にできること。
でも、何でも言語化できると
スキルを過大評価しすぎると苦しくなる。
言語化できないことだって、たくさんある。
たとえそれを生業にしているとしても。
昨日、上野動物園に双子パンダの観覧に行ってきました。
あっという間の観覧時間を終え、
久しぶりに動物園をゆっくり回りながら
動物たちにごあいさつ。
2年前からインコを飼うようになったせいか、
動物園に行っても興味がわくのは鳥類ばかり。
ライチョウやウズラ、ボタンインコ、
ハシビロコウ、ツル、シジュウカラ。
足の付け根がふわふわでかわいい。
話しかけられると眠たくなるのはインコと同じかな。
目玉が縦線でクール。
そんなところばかり見ては。キュンキュンして。
その後、せっかく上野まで来たのだからと
国立科学博物館の特別展「宝石」も観に行くことに。
宝石とは鉱物なのだと実感できる展示がたくさんあり、
あの輝きは半分は地球が生み出した奇跡であり、
もう半分は人間の技術によって磨き上げられたアートなのだと、
頭ではわかっていたことを体感することができました。
パンダも宝石も人の心をわしづかみにする動物のフォルムも、
「神はなぜこのようなものをつくりたもうたのか・・・」
とつぶやきたくなるような、自然の奇跡であり、いたずらであり。
どれだけ感動したか、どう心が揺さぶられたかなんて、
言葉になんかできたものじゃない。
いや、本気で頑張ればできるのかもしれないけれど。
例えば、「蜜蜂と遠雷」のような。
例えば、「暗幕のゲルニカ」のような。
音楽や美術などを独自の世界観で言語化した作品もたしかにあるけれど、
そういうものはそれ自体が言葉の芸術。
私のような非芸術家は、
ぐるぐるしながら言葉をひねり出そうと己の語彙力と格闘し、
ああこんなものじゃあの感動の半分も伝わらない・・・!と絶望しながら
正しく言葉にすることの壁にぶつかったって、いいんだと思うんです。
言葉にするって、難しい。
でも言葉にしないと伝わらないこともある。
だから伝えようとする行為を前にして、
相手からの言葉を受け取るに際して、
「言葉にするとは難しいことだ」
と、認識していることが大切なのだと思います。
人の言語化力は、決して万能じゃない。
だから、「だってあなた、言ったじゃない!」なんて、責め立てちゃダメ。
だから相手の言葉そのものよりも、
背景にある思いや価値観を汲み取ることを
セッションでもインタビューでも大切にしたいなと思っているのです。
↓だれがこのかわいさを、ただしく言語化できるというだろうか、いやできない(断言)。