うまくいかなくてやぶれかぶれになった時には
noteを書いても、まったく反応がない。
SNSで投稿しても、まったく反応がない。
なんだか居心地の悪いコミュニティや、職場。
ああもう、こんな思いをするくらいなら、いっそやめてしまおうか。
その方が自分にやさしいんじゃないだろうか。
やめるのか、とどまるのかの判断って難しいですよね。
やめることがただ目の前の「うまくいかない」状況から逃げたいだけ、っていうこともあるし。
そんな「やめてしまおうか」衝動にどう対処したらいいのか、私の場合をお伝えします。
前提として「とどまることで得られるものはあるはず」派
今いる場所で、現状ぱっとした成果や反応がなくても、
そこにとどまりつづけることで、少しずつ何かが構築されていくことも往々にしてある。
長くそこにいるから根っこが育ってくるというか。
つながりが芽生えて居心地がよくなってきたり、
相場観ができてきて、「まあこんなもんか」とちょっと客観的に見られるようになって、過剰に落ち込まずにすむようになったりね。
全然うまくいっていないと思っていたけれど、続けていくうちに実力だったり経験だったりが蓄積されて、いつのまにか一段上がっていることもある。
なので、前提として「とどまり続けることで、いつか、やっと得られることもあるよ」というスタンスです。
石の上にも三年派。ガッツ大好きな昭和脳だからね。
それでも「やっぱ、ここにいる自分は嫌だなあ」と思うこともあります。
その場所にいることで、
うまくいっている人への嫉妬で苦しくなってしまったり、
だんだん価値観が合わなくなってきたぞ?と感じたり、
黒くて嫌な部分が見えてきてしまって、心底ガッカリすることもある。
実際私も20年勤めた会社を辞めたわけですし。
(ちなみに辞めた会社に対する感情って「離婚した、かつての配偶者」へのものと似てる気がする。
確かに心から好きだった時もあったし、だからこそずっと一緒にいられるようにがんばった時期もあった、でももう一緒にはいられないし、いいことばかり思い出すわけじゃない、みたいな郷愁。離婚したことないから、知らんけど)
そんなわけで、結局やめるのか、とどまるのかの判断材料として、私はざっくり次のように考えています。
①それをやめること、離れること=「航海」か?
「後悔」ではありません、「航海」です。
はい、私はGLAYファンです。
「ここではない、どこかへ」という曲をこよなく愛しています。
その歌のサビが、これ。
ここではないどこかへと 胸を焦がすよ
無邪気な季節が過ぎ 今誰もが戦士達
(中略)
計らずも そう 僕らは航海に出た
ゆるぎない魂に 南向きの帆を立てろ
GLAY「ここではない、どこかへ」
会社員だった時、つらいことがあるとよくこの歌を熱唱しながら車を運転してました。
もうやめてやる!と思った時に、そのアクションが「航海」のイメージならいい。
やめる自分のことを、客観的に見て嫌だな、ダサイなと思わないならいいと思うんですよ。
やめることにちゃんと理由があって、それに納得している。
なんなら、ちょっと勇気を出して今よりよくなるために、安心安全な場所から踏み出そうとしている。それって「航海」ですよね。
逆に「ここで踏みとどまれた方が、カッコ良くね?」とも考えてみて、
確かにそうかも、と感じたなら意思決定はもうちょっと待った方がいい。
全然スキもいいねもつかないけれど、発信し続ける私、
悪くないかも。って思えるとかね。
②現実にそれが無くなった人生を想像したら、味気なくないか
やめる瞬間は、どんなことでもちょっと気持ちがいい。スッキリする。
だって大なり小なり、何かが変わるから。
それを自分の意思で決められた、選べたと思えるのは、気持ちがいいことなんですよね。
でもだんだんそれが日常になって、当たり前になった時に、
「やっぱりやめなきゃよかった」と後悔する場合もある。
それは、やめる瞬間のことしか考えてなかった場合に多い気がします。
例えば、もしも私がライターをやめることにしたら。
凄腕の売れっ子ライターさんと自分を比べて落ち込んだり、
すごーーーく楽しそうで条件も最高な仕事をしているというライターさんに嫉妬したり、みたいなことからは解放されるかもしれない。
でも、思いもかけない人と出会えて、1時間2時間と深く話を聞く機会はもう得られなくなる。
ユニークな活動をしている人や才能を持った人に出会った時に、「うぉぉ、これ企画にして売りこんで、世の中に紹介したい!」という衝動にかられることもなくなる。
今よりもちょっとでも上達して、成長していきたい、そのために学んだり経験を積んでいきたいと思える人生のテーマを失ってしまう。
それは、嫌なんですよ。絶対。
だから、石でも椅子でもかじりついて、留まりつづけるしかない。
お前なんかいらねえ、って言われてもなんとか留まりつづけることができるように、やれることはやっていくしかない。
そんなわけで、「やめるかどうか迷っているものが、この後の人生からなくなってもまあいいかと思えるか」というのは、決める前に一度冷静に考えてみた方がいい。やめる瞬間だけにフォーカスしてないかな?と疑ってみる。
後悔しない選択という「実績」で、自分を信用できるようになっていく
とどまるにしても止めるにしても、くれぐれも勢いやノリだけで決めて、後悔しないように。
それをやめたこと自体が問題なんじゃなくて、自分のことを信用できなくなっていきますから。
自分で考えて決めたことが間違ってなかったと思える。
その「OK」の実績が積み重なっていくことで、だんだんと自分の意思決定を信用できるようになっていくんですよね。
自分が蝕まれるとか損なわれるとかっていう場所に留まるのは論外で、身を守ることはもちろん最優先ですが、
うまくいかないときにやぶれかぶれになったら、この2つの観点でチェックしてみるのはどうでしょうか。
あ、ライターやめませんよ。
大事なのは数じゃないし。
